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2010年12月18日土曜日

雑記 : 「博士号」を取得するメリット

「足の裏の米粒」といわれている「博士号」ですが、取得するとどんなメリットがあるのでしょうか。
私の2年間の経験を踏まえて、書いてみようかと思います。

①大学の教官になる資格。
②研究者、開発者として、外国に行ったときに相手が博士持ちでもバカにされない。

というのは有名なので、詳しくは書きません。

実体験とすると、

③学業を一通り修めたという証明になる。

というくらいでしょうか。

社会人になると勉強したくとも勉強できない状況などに陥りがちです。
博士号を取れるくらい勉強していれば、多少は応用が利くような気がします。

雑記 : 社会人を目指す大学院生に知ってもらいたいこと

大学院は成人してから進学する学校なので、すべては自己責任という話は以前しました。
私は博士後期課程を修了して、2年ほどになりますが、社会人としての自覚が出てきたのが、恥ずかしながら1年半くらいからだと思います。

私が社会人になって、上司に言われた言葉があります。

「学校は学費を払って教育してもらう場所なのだから、設備や教育方法、図書などが、充実しているのは当たり前。会社はお金をもらいにきている場所なのだから、全く逆。教育や環境が充実していなくとも、仕事を覚えてなんとかしろ。」

といわれました。

言われた当初は、十分な教育や設備が無いのに、どうやって、仕事を覚えろというのかと疑問に思いましたが、社会人としては基本だと今では思っています。

私の勤めている会社は少し独特だと思いますし、さすがに他の会社では教えてもいないし、知りもしないことをやれとは言われないと思いますが、この言葉は肝に銘じておいたほうがいいと思います。

つまり、学校は「教育というサービスを受ける場」。
社会人になるということは、「誰かにサービスする立場になること」です。

大学院だと先生に指導を受けながらがんばって研究していると自分はきちんとできているという錯覚に陥りますが、実は間違いです。

単に先生から「研究教育」という名のサービスを受けているだけであり、それ以上のものだと考えないほうがいいと思います。

大学の先生自体、ほとんどが、大学という世界しか知らない人なので、そのあたりの認識すらないと思いますが、企業に勤める人間からするとその程度の認識です。

私の先生は大学の先生になる前に起業していた方なのですが、さすがに元経営者ということもあり、人の扱いがうまく、在学中は気づきもせずに先生の手の平の上にいたようなものでした。

今考えると、先生は私に「博士号取得」のための必要な教育をしていただけで、「社会人になってから必要になるスキル」などは一切教えてはくれませんでした。

大学というところはある意味、治外法権です。

社会で役に立たないようなことでも、科学技術の発展という名の元に学生に指導します。

自分が何をしたいのか?というところを十分に考えて、先生から得られる利益は何なのかをじっくりと考えましょう。

先生は頭も良く、人の扱いもうまく、要領のいい人です。
中には学生の将来を真剣に考えてくれる先生もいることはいますが、「所詮は先生」です。

小学校や中学校や高校の先生となんらかわりはありません。

ただ、勉強を教えるだけですし、それ以上の能力も持っていません。

また、よく言われることですが、一つだけ、覚えておいたほうがいいことがあります。

「相手が自分にとって都合の良いことを言ってきたときは疑え。」です。

2010年12月16日木曜日

雑記 : 「博士課程」を退学しようかどうか悩んだとき

本年度に博士課程を修了予定の後輩がいるのですが、公聴会の予定表に彼の名前がありませんでした。
つまり、彼は博士取得に失敗したようです。
彼の研究室は今年いっぱいで解散(教授が定年)なので留年はできません。
その人はD2の5月くらいから様子がおかしくなって、それから研究をしなくなりました。
今はD3なので、おそらく、良くて指導認定退学、悪くて、普通の退学ということになるかと思います。

よくネットとかで、博士号を取れなくても修士として就職できるなどと言いますが、それは一般的にD1までの話で、D2以降になるとかなりマイナスになります。

かといって、D1で研究結果がでないから退学しようというのは早計です。

博士課程はD2の後半からが本番だと思った方がいいです。

オーバードクターは転職コンサルタント曰く、フリーター並の職歴となってしまうようですが、自分の将来を考えるならば、安易に退学を選ぶよりはがんばって3年で卒業する努力をしたほうが、将来には有利になります。

博士号をとってもアカデミックの就職は難しいですし、民間の就職となると、1から出直しのような感じとなるため、博士課程に行くことはアカデミックのパーマネントに就けなかった場合は結構、苦労します。
どちみち、苦労するならば、がんばって、博士号を取ることをお勧めします。

博士号というのはある意味、資格みたいなものなので、持っていると、あまり期待はしないほうがいいと思いますが、それなりに優遇されます。
(最低限の扱いはしてもらえるという程度です。)

どこでもある程度、アカハラはありますが、それくらいは社会に出れば、その程度のストレスに耐えられない程度では生きていけません。

2010年12月12日日曜日

雑記 : ポストドクター問題について

大学院重点化政策で博士が量産されだしてから、ポストドクター問題ってよく言われますよね。

結局のところ、政府の見解としては「自己責任」だそうです。
最近になって、大学やらがポストドクターを民間に就職させようと取り組みを始めていますが、私個人の見解としても、やはり、問題はポストドクター自体の考え足らずだと思います。

学振とかなら、まだましなのですが、はっきり言って、時間給のポストドクターなんて目も当てられません。
確かに学術研究というのはやりがいがあり、実際に楽しいのですが、だからと言って大学に残り続けるというのは問題だと思います。

博士の就職が悪いといっても実際は新卒で、修士や学士と同様に就職活動をすれば、内定の1つや2つくらいはいただけるものです。
仕事の内容にケチを付け出すときりがないですが、実際の仕事というものはそういうものです。

よくサラリーマンというと居酒屋で愚痴を言っているようなイメージがあるかと思いますけど、実際に働くということは、そういったサラリーマンになるということがほとんどです。
自分は博士だから人とは違うという認識は大きな間違いです。
博士もただの人です。
ただ大学に長くいただけで、それ以上ではありません。

確かに30歳前後まで大学に在籍して、それから社会人になるということは極めて困難です。
私自身、28歳で博士号を取り、その後、すぐに就職をしましたが、かなりの苦労と努力を今でもしています。

ただ、サラリーマンと言っても正社員なので、職を失う可能性は低いですし、給与もボーナスもきちんと支給されますし、同年代の平均所得程度の収入もあります。

ちょっと脱線しましたが、企業に就職した博士としては、何か目的や計画があってポストドクターになったのならば分かりますが、考えずになったのであれば、その人を国や大学や企業が救済する必要はないと思います。

普通にまじめにサラリーマンをしていても非正規やリストラなどによって仕事を失うことがある時代です。
ただ、博士と言うだけで、特別に救済する必要はありません。

博士であろうとなかろうと、社会からはみ出したわけですから、当然、苦労するのは当たり前です。

自分の仕事を見つけもしきらない博士など、本来の博士とは言えないのではないでしょうか?

博士というのは、論理的に事実を見極めて、アクションを起こせるという人材のはずです。
自分の人生についても同じことをすればいいだけです。

ポストドクターにもその程度の能力はあるはずです。

現在、博士課程に在籍している人や博士課程に進学しようと考えている人は、もうすでに大人なのですから、自分の人生については自分で責任をとりましょう。

2010年12月10日金曜日

雑記 : 専門性を身につけよう!

大学院修了後のキャリアパスを考えようなどとよく聞きますが、このことは在学中から考えておいたほうがいい問題です。

なぜなら、修士課程修了でも24~25歳、博士課程修了ならば30歳前後になるので、はっきり言って大学院卒は社会人として出遅れています。

ポスドクなんかだと相当悲惨だと聞きます。

会社では高卒でも中卒でも長く勤務している人間のほうが断然有利です。
最近は学歴にこだわった採用をする会社も減っているので、工業高校卒や高専卒のエンジニアなんかも結構、たくさんいます。

高専はともかくとして、高卒と聞くと能力が低そうと考える方もいるかもしれませんが、高卒でも頭の良い方はたくさんいます。
ただ、大学にいかなかったというだけで、人物を評価するのは間違いです。

意外と社会に出てみると、大学を出ていない同僚もよくいます。

しかし、最終学歴というのはある意味、資格じみています。
もし、役職者の候補が数人いて、高学歴の人とそうでない人といた場合、高学歴のほうが有利になります。

と言いますが、まず、役職者の候補になる程度まで実力を付けることができなければ、高学歴でも意味はありません。

というわけで、まずは専門性を身に着けましょうというのが今回の話です。

よくある話なのですが、たとえば大学で機械を専攻した人に何の予告もなく、電気の仕事をさせるような会社ってありますよ。

企業からしてみれば、大学は基礎教育の場であり、専門性を身に付けるのは企業に入ってからという認識があるようです。

新しい会社は大学で学んだ新しい技術を活かして仕事をさせようとするみたいですが、古い会社になるほど、こういった傾向は強いようです。

就職面接の際は企業担当者は結構、平気で嘘をつきます。

企業からしてみれば、きちんと給与を払うわけだから、契約上問題ないということなんですが、学生の思いとかはどう考えているのかと疑問になるときがあります。

そんわなけで、就職をする際は、企業を疑ってみるというのも大切なことです。

自分の描いていたキャリアパスと違うキャリアに引き込まれる可能性も大いにあるのです。

「博士」について考えてみよう! パート2

さて、そろそろ「博士」についてじっくりと考えてみましょう。

「博士」っというと、御茶ノ水博士とかそんなイメージしかないかもしれませんが、実在する博士の多くは、研究という能力を除いては、普通の人以下です。

博士を取るくらいですので、若いころから勉学に明け暮れて、30歳近くなって、やっと博士号が取れるくらいなので、そういう風になっても、不思議ではありません。

人生の半分近くを学業に費やした人、それが博士です。

博士号を取るとなるとどの程度のレベルが求められるかご存知ですか?

修了要件で言うと、学会誌に1本から3本論文が掲載され、国際学会で3回ほど発表する必要があります。

最近は投稿論文1本で修了させてくれる大学も多いですけど、やっぱり、3本は欲しいですね。
大学の教官になった人の業績をみていると、コネ就職を除くと、大体、皆さん、3本ほど書かれています。
大学の世界では助教になるのには3本論文が必要だと言われており、業績を稼ぐためにポスドクになる人もいますが、3本あれば可能性があるというだけで、採用されるかどうかはわかりません。

大学の人事って公平なようで、意外と公平ではありません。

もちろん、コネもありますし、人物評価もあります。
いくら業績が良くても人物的に教育者として向かない人は採用されません。

博士号を取得するのに投稿論文が必要と書きましたが、投稿論文にはどの程度の研究結果が必要かわかりますか?

マイナーな学会誌とかになると、そうでもありませんが、メジャーな学会誌になると、世界レベルで最新かつ実用的なレベルの研究結果が求められます。

修士課程だと、口頭発表1回くらいで卒業させてもらえますけど、博士を取得しようと思うと、その何倍かの研究結果が必要です。

修士時代に優秀だった人でも博士課程に入ると落ちぶれるというようなケースも良くあります。

修士はその大学の基準で授与されますが、博士は論文誌という公共の基準で判断されるため、実際にはそんなに簡単にはいきません。

博士に行こうと思っている人がいるならば、修士の何倍か努力しないと卒業できなということをきちんと認識するべきだと思います。

また、博士になると英語力が必要です。
海外に一人で行って、発表して、ホテルや交通の手配もして、英語でディスカッションして、帰ってくる程度の語学力が求められます。

民間に就職する場合でも、博士で英語ができないというのは結構、痛いです。

ざっと、いろいろと書いてみましたが参考になりましたか?

まだまだ、話は続きますが、いったん区切ります。

それでは、また!

2010年12月9日木曜日

雑記 : 大学院でキャリアアップを目指したいのならば有名大学を目指しましょう!

自大の院に行くことを薦める先生っていますけど、結局のところ学位というのは、「どこの大学で取得したか?」というのが重要です。

地方私立から地方私立の院に進学するなどは結構、自殺行為です。
私の知り合いにこういった人がいて、無職になった人や派遣社員をしている人がいます。

学歴というのはある意味、ブランドです。
有名なブランドを身に着けておくに越したことはありません。
たとえ、学部が地方私立でも有名大学の院に進学することは十分に可能です。

もっとも、より上のレベルの大学を目指すならば、それ相応の学力と努力が必要です。
たとえば私は偏差値45くらいの大学から、関西圏では有名な国立大学に進学しましたが、4年間、他の学生の何倍も努力しました。

日曜日以外は大学で勉強し、夏休み、春休みも勉強し、夜遅いときは9時ごろまで図書館で勉強をしていました。

だからこそ、倍率3倍の大学院に進学できたのだと思います。

楽して得することはできませんが、地道に努力すれば、キャリアアップの道は開けます。
ただし、何年間も継続して、他の人が遊んでいる中、勉強することは困難です。
かなり、禁欲的な生活となります。

しかし、若いうちの努力は買ってでもしろと言いますように、いつかは自分にプラスになるときがきます。

雑記 : 先生に大学院を薦められたら

やたらと大学院進学を勧めてくる先生ってどこの大学にもいますよね?
よかれと思い薦めている場合と学費や研究要員目当てで誘っている場合とあります。

特に近年、少子化が進み大学に在籍する学生の数も減っているため、教員も学生確保に走っているようです。
大学の先生が大学院に誘う場合は大まかに分けると2種類あります。

①本当に能力があって、大学院で伸ばしたいと思っている場合。
②学費、労働力、自分の研究・教育実績を作りたい場合。

ほとんどの場合が②です。
残念ながら、90%以上が②です。

また、修士課程で優秀な成績を修めた学生に博士課程の打診をし、修了後の進路も約束すると言い、進学させる場合もありますが、これも怪しいです。
全く進路の世話をしないことはないと思いますが、ポスドクとか中小企業を紹介される場合も多いのであまり当てにしないほうがいいと思います。

「大学の先生に進学を勧められる=優秀」ではないことに注意しましょう!

大学の先生と言っても所詮は大学の世界しか知らない人なので、民間の需要など分かっていない人が多いのです。
自分の下で何年間か修行すれば、一人前とか本当に思っている先生もいますが、実社会はそんなに甘くはありません。

先生に薦められようが薦められまいが、自分自身の人生です。
大学院に入学するということはすでに成人しているわけですから、すべては決断した本人の自己責任です。

自分の価値観や研究室の研究内容と照らし合わせて、自分の進路は自分で決めましょう。

2010年12月5日日曜日

雑記 : 社会人ドクターについて

少子化の影響下どうか、社会人を大学院に入学させる動きが活発化していますね。
社会人ドクターというやつです。
一般的に社会人ドクターとは「勤務しながら博士課程に在籍している人」という意味です。
会社を退職して博士課程に入学する人は含まれません。

大学の先生の話を聞いていると簡単に社会人ドクターを薦めるような方も多いですが、「博士」の学位は簡単には取れません。
もともと、博士並みの実力がある人は簡単に取得できるようですが、一から勉強して博士号を取らないといけない人などは週に2日くらい徹夜して、仕事が終わった後、深夜まで自宅で研究し、休日はすべて研究に費やすくらいの覚悟が必要です。
それでも、3年間で博士号を取れる人は少ないようです。

私は社会人ドクターではありませんが、実は博士課程修了後、半年ほど仕事が終わった後や休日で研究活動をしていた時期があります。
学位取得後だったので、仕事を優先してギブアップしたのですが、相当、きつかったです。
私は持病があり、徹夜などはできないため、ギブアップしないと体を壊しかねないと判断しました。

経験したことが無い人には「論文を書くなんて簡単」などとすぐに言う人がいますが、論文というものは「文献」なわけで、そんなに簡単には書くことができません。

最近はインターネット上で科学技術論文を残すため、論文そのものはともかく、論文を書いたという情報は半永久的にどこかに残るわけですし、投稿した学会がなくならない限り、何十年後でも文献複写依頼で取り寄せができる状態になっています。

査読が緩い、もしくは、査読がない学会などは簡単ですが、きちんとした査読が入らない論文というものは同人誌以下であり、はっきり言って誰も読みません。

査読の入らない研究会や講演会というものは実際には研究者同士のコミュニケーションが目的であり、こういったものは業績や修了要件には加算されません。

論文誌ともなると、よほど能力とネタに恵まれた人以外は3年間で1報~3報書ければいいほうです。

普通の博士課程の学生が週6~7日かけて3年間で修了するところを週2日とかで修了できると思うのは間違いです。
学業というものは修めるためには相当な犠牲が必要です。

雑記 : 企業から見た「学位取得者」

私は企業に勤めて3年になりますが、企業から見た学位取得者について個人的な意見を書いていこうと思います。

まず、「大学院なんていって何しているんだろう?」という意見は多いです。
最近は修士課程修了者などが増えているため、そうでもないですが、大企業以外、学位取得者をあまり採用した経験がない会社や部署が多いです。
特に博士ともなると、企業としてもどう処遇するのか規定がないところも多いです。

一方、実務能力はともかくとして、博士号を持っているという一定の評価はあります。
博士と言っても会社に入れば新入社員も同然ですから、それなりに教育する必要があるのですが、多くの企業では「半ば教育済み」の社員、つまり、中途採用社員程度の教育で十分であろうとの考えが多いです。

実際に私は博士課程修了後、中途採用で採用されましたし、まっさらの修士に比べればスキルは高いほうになると思います。

ですが、博士という肩書きがついている以上、それなりの働きをしなければならないとみなされるため、短期での立ち上げが求められます。

一般に新卒の場合は2年から3年かけて一通りの業務を見につけさせるという考えの企業が多いのですが、博士の場合は1年前後で立ち上がる程度の人材しか採用はしないような気がします。

私は某財閥系の企業なのですが、日立や本田技研など博士の採用実績の多い企業では、「博士でも一から教育する」といわれていたりします。

昔から「教育の日立」とか「ホンダは博士を中途採用する」とか聞きますが、さすがにこのレベルになると博士の扱いはうまいようです。

博士の採用実績が少ない企業では、なかなか使われる側としても使う側としても、難しいようです。

2010年11月26日金曜日

雑記 : 「科学」と「技術」の違いについて認識を持とう!

よく科学と技術をくっつけて「科学技術」なんて言い方をする場合がありますが、科学と技術というものは一概に連続しているとは限りません。

大学院生をしていると自分の研究が将来、仕事に役に立つとか、専門能力が活かせるとか思うかもしれませんが、大学院で研究することの大半はScienceであり、Technologyとは懸け離れたものである場合が多い。

製薬系や化学系なんかだと、大学院の研究が仕事と直結するケースもあるようですが、狭き門です。

たとえば私の修了した研究科は「情報科学研究科」というのですが、「情報科学」と「情報工学」は非にて異なるものです。

情報工学というと情報処理などの実用技術を指す場合が多いですが、情報科学の場合、バイオインフォマティクスや人間工学、メカトロ・ロボットなど機電系やバイオに近いようなことをする場合が多いです。

企業の方に注意して頂きたいのは、情報科学研究科のような「科学」とつく研究科が行っているのは基本的にサイエンスであるということです。

「情報=IT」ではありませんよ!

たまに勘違いしている企業人を見るのですが、大学というのは科学や学問をする場であって、実用技術を習得するための場ではありません。

専門技術を習うのは専門学校や高専です。

私たち大学院卒より、高専卒のほうが専門技術にはたげています。

ですが、高専卒が習得している技術は現在の技術であり、将来に必要になるかもしれない先端技術については習得していません。

私たち院卒は将来必要になるかもしれない先端技術を学んでいるという認識が必要です。

「高専で学ぶこと=技術」、「大学院で学ぶこと=科学」とでも解釈しておいたほうがいいかもしれませんね。

自分は科学なんかより、専門技術を身につけたいというならば、大学院より、専門学校に入学したほうが得かもしれません。

しかし、大学院というところは先端科学を学べる唯一の場所です。

生涯のうちに何年間か科学を学ぶというのも悪くない選択だと思いますよ!

2010年11月21日日曜日

雑記 : 学位は国際的に通用します。

国家資格を持っていると就職に有利だとかいい、専門学校などが薦めてきたりしますが、日本の国家資格は国内でしか通用しません。

日本の企業に勤める場合は難関国家資格などを持っていると有利ですが、いったん日本を出てしまうと、全く役に立たない無用の長物です。

専門知識という面では役に立つのだと思うのですが、肩書きとしては、使えません。

反面、学位というのは資格ではないし、一概に専門知識やスキルを評価するものではないので、自分の能力と学位が連関するわけではないのですが、これは一応、国際的に通じます。

博士ならばどこの国に行ってもDr~で通用します。

日本もこれから本格的に国際化するようですので、国際的に通じる「肩書き」として、学位に投資してみるのも一つの手かもしれません。

雑記 : 他の大学の大学院を受験する

地方にいるとあまり考えることがないかもしれませんが、関東や関西では大学院から他の大学に進学すケースが多いです。

実は私もそのケースです。

私は地方の私立大学から中堅国立へ進学しました。
悪い言い方をすれば、俗に言う「学歴ロンダリング」という奴です。

私としては「学歴ロンダリング」をしたつもりはないのですが、学部の大学ではこれ以上、成長できないと思い、また、もっと優秀な先生や学生が集まる大学で学びたいと思い他の大学にしました。

結果として、今では「国立大学卒」ということで通っているので、良かったと思います。
大学院から有名大学に進学する場合でも、結局、対外的に評価されるのは最終学歴なので、よりレベルの高い大学院に進学しておくほうが、将来的には可能性が広がります。

よく自大の院に進学しないと教官が嫌な顔をするとか、卒業研究の指導で差別を受けるとか言いますが、まあ、私の体験として、これは事実です。

私はあえて卒業研究の研究室を選ぶ際に他の院へ進学するのを嫌がらない教官を選びました。
また、専攻したい分野も近かったので、運が良かったのかもしれません。

最近では国立大学でも、研究計画と学力試験がパスできれば、入学できるところも多いので受験することをお勧めします。

大学院の学力試験は純粋に専門能力を試すものなので、きちんと対策すれば、試験に合格するケースが多いです

2010年11月20日土曜日

雑記 : 博士後期課程に進学しようかどうか悩んだとき

博士後期課程に進学しようか悩んでいるという人が多いみたいですね。
私の恩師曰く、「博士課程はハイリスク・ハイリターン」だそうです。

賭けに勝ってしまえば、好きな研究と理想的な職場が手に入るかもしれませんが、負けると正規雇用すら難しいというのが実情です。

アカデミックポストはコネが大事なので、コネのあるその専門分野の教授の元につくのが、大事だと思います。
それでも、アカデミックポスト(常勤)につけるかどうかは確率15%くらいだと考えておいたほうがいいと思います。

学生をしているとあまり考えないかもしれませんが、大学の教官になるにしろ、企業で働くにしても、その業界のニーズというものがあり、ニーズに応えられる人材が就職に有利です。

たとえば、「二足歩行ロボットを作ってみたい!」とか思っても、二足歩行ロボットなんて作っているところなんて、大学・企業含めてほとんどありません。

ホンダのアシモなどテレビなどで頻繁に出てきますが、そういったものはPRが目的なので、開発事態は少数先鋭で行っていますし、はっきり言って、人材募集しているかどうかも怪しいです。

個人的には、博士課程に進学するにしても、きちんとニーズのある専門分野を見極めてから、大学院や研究室を選ぶほうがいいと思います。
ニーズが無い専門分野にどんなに努力しても就職があるかどうかはわかりませんし、第一、就職できたとしても、専門性を発揮できない可能性が非常に高いです。

実は私自身がそういったケースです。

私はロボットアームの制御が専門なのですが、今では全く違うことをしています。
幸い、安定した会社に勤務しているので、生活は保障されていますが、会社から観れば「使えない博士」と考えられていてもおかしくはないと思います。

ちなみに私は産業用ロボット関係の業務担当として採用されたのですが、世界不況の影響で、担当業務がなくなり、電気設計をしたり、IT関係をしたりと全く専門と違うことをしなければならない状況になりました。

私のケースのように仕事というものは常に流動的なものなので、一時は専門性に近い仕事に就くことができても、その仕事が定年まで続くとは限りません。

専門性にこだわるのはできるだけ控えたほうがいいと思います。
雇用というものは常に変化します。
変化に対応できる人材こそが大事であり、変化に対応できない人材は淘汰されます。

これは博士号を取ろうと取るまいと同じことです。

2010年11月10日水曜日

雑記 : 精神病と大学院

ドクターを修了して、2年ほど経つのですが、たまに恩師のところに世間話をしに行きます。
教授もたまに会うと、学生時代には決して話さなかったような悩み事を話すことがあります。

前回は「留学生に博士号を取らせたが就職がなかった。」、今回は「精神病の学生が多く、対応に困る。」とのことでした。

この記事では後者の方を扱います。

実は私自身、精神障害者です。
実は手帳を持っています。

そんな話を在学中にしてもいたのですが、教授曰く「あんたは普通にできとった!」だそうです。
結構、ギリギリまでがんばってドクターを取ったのですが、と思ったりしました。

そのときに聞いたのが、私と同期でドクターを取った人も精神病(欝)で10年以上患っているとのことでした。
その人の博士論文はとてもひどい内容だったし、私の半分も研究していないような人だったので、なんでこんな人にドクターを出すんだろうと疑問に思っていたのですが、そういったわけだったんですね!
でも、私にはあまり配慮がなかったような気がするけど。。。
まあ、人によりけりですかね?

ちなみにその人は文字通りミニマム卒業でした。
ドクターなのに英語の論文0本。
という、快挙をやってのけました。
ちなみに私は5本。

まあ、その人は派遣会社に就職しましたが、私は普通に正社員なので、がんばった分の多少は報われているような気がします。

さて、教授が悩んでいたのは、そんな卒業した人のことではなく、現役生です。
なかなか優秀な後輩だったのですが、D2の5月位から3ヶ月くらい行方不明になり、果ては研究放棄して、先生に投稿論文を代筆させたという人です。
能力的には優秀なのですが、ちょっと変ですよね?
その人は「新型欝」の疑いがあるそうです。
研究は放棄、だけど、遊びはOKだそうです。
そんな彼も今年でD3、ちゃんと博士論文を書いているんだろうか?
心配です。

ドクターに行くと意外とストレスが多いので欝とかになる人が多いので、皆さんもメンタルヘルスには気をつけましょう。
最近は心療内科も敷居が低くなってきました。
少しでも気になったら、一度、受診してみることをお勧めします。

雑記 : モラトリアムとしての大学院

モラトリアムという言葉をご存知ですか?
社会学の講義で学んだのですが、「いつまでも子供でいたい」という願望だそうです。
モラトリアムで大学に残る人って結構いますよね?
どこの研究室にもたぶんいるだろう「この人なんでドクターなんかやっているんだろう?」的な人のことです。
一概にそういった人がモラトリアムとは言い切れないのですが、中には持病があり、就職が難しいため、ドクターに進むような人も少なくないようです。

でも、ドクターに進学する人は多かれ少なかれモラトリアムを抱えているのではないかと思います。
「純粋に学問を追及したい!」という人も多いかと思いますが、「学問」というものは「飯の種」にはほとんどなりません。
皆さんも分かっていると思いますが、学問の目的の一つは知識や教養を広げることであって、職業教育ではありません。
大学の教官に慣れる人はいいのですが、民間企業に就職する場合は圧倒的にマスターの方が有利です。

ただし、学問を習得することで、その後の人生が豊かになることはあると思います。
純粋に研究に打ち込んだ経験というのは掛買いの無いものです。
そういった思い出とともに社会の荒波に立ち向かうというならばぜんぜんOKです。

ドクターに進学する前に考えてみましょう。
本当にドクターに行かなければ行けないのか?
ドクターを出た後、何をして生活をするのか?
自分の研究に社会から見た価値はあるのか?

などなどです。

よーく、考えましょう!
社会は学生さんが考えている以上にシビアです。
また、ドクターを取ることはマスターの人からは考えられないくらい難しいことです。

ドクターに進学するということは、あと3年間、苦行に耐え、さらにその後の人生に役に立つかどうかも分からないということです。

自分のモチベーションがモラトリアムではないことをじっくりと考えてみましょう。

ちなみに私がドクターに進学したのは、持病があり、しばらくは働くことができなかったからです

2010年11月2日火曜日

「博士」について考えてみよう! パート1

「博士号」を取得することについて考えてみましょう!

昔から「博士号とは足の裏の米粒」とか言われますが、その通りでしょう。
一度でも学業を志したものならば、「博士号」を取得することは考えたことがあるのかと思います
ですが、最近の「修士贔屓」を見ていると、なかなか博士課程に進学する気になる方は少ないかと思います
あと、経済的な事情もありますよね。
奨学金を借りるという手もありますが、学部から博士課程まで奨学金を借りると850万円以上になります
ちなみに私は修士課程から奨学金を借りましたが合計で640万円で月々3万円づつ返済しています
学部から借りた人はたぶん月4万円以上返済することになるでしょう

奨学金というと聞こえはいいですが、ただの借金です
返済しない人が多いと話題になりましたが、最近では学生支援機構が裁判を起こしたりしているので、借逃げはやめておいたほうがいいでしょう
というか、「借りたものは返す。」のは社会のルールです。
事情があり、返済できないのならば、手続きをすればいいし、それでもダメな場合はご家族と相談しましょう。
それくらいのこともできないならば「学位」を取っても何も成長しなかったということでしょう

家がとても裕福で自分が働かなくともいい人やいざとなれば家業を継げばいいような人は奨学金を借りずに博士課程まで進学している人とかもいるくらいです。

お金が無ければ、大学院で学べないのかというとそういうわけではありませんし、そのための奨学金制度なのですが、借金であることには変わりないので、消費者金融ではありませんが、「ご利用は計画的に!」したほうがいいです

以上が博士号を取るにあたっての注意事項です

大学院に通って博士号を取るのは良いことなのですが、その後の人生をどう過ごすか計画的に考えましょう

2010年10月26日火曜日

「修士」について考えてみよう! パート4

「パート3」の私の話からも分かるように一生懸命勉強したからと言って、必ずしも良い仕事に巡り合えるとは限らないと感じた方も多いと思います
人生いろいろです
「学位」を取得しようとしまいと、それ自体で人生が決まるようなことは決してないです
このことは、これから書く、修士修了後に就職した私の知人らにも言えると思います。

某国立大学を主席で卒業した友人

この友人は大学院からの友人なのですが、技術的にも学術的にも人間的にもとても優秀な方だと思います
実は私と同期で三菱重工に入社した人なのですが、5年間ほど勤務された後、コンサルタント兼研究員に転進されました
それからは会っていないので、どうなったかは分かりませんが、三菱重工の退職への後悔は少なからずあるようです。
三菱重工時代からやり手だったので、勿体ないと思いました
こういう人もいます。

自動車好きの友人

某大手自動車メーカーに就職した友人もいます
今でも勤務されていますが、やはり、自動車メーカーともなるとコストカットや品質管理などが相当厳しいそうで、かなり大変そうです
それでも、休日に旅行に行ったりするなど、活発に遊ぶときは遊んでいるそうです
同期の中で、一番賢いのは彼かな?とひそかに思っていたりします

福祉機器関係の仕事を選んだ友人

学生時代から「おじいちゃんやおばあちゃんを楽させてあげられるような仕事がしたい。」と言っていた友人がいます
彼は福祉用ベッドを作っているメーカーに就職し、今でも勤務されています。
ここまで書くと、一見、彼の目標は達成されたのか?と思われるかもしれませんが、実際はどうなのかな?と疑問になるところがあります。
実は彼は某公立大学を主席で出た人なのですが、とても優秀で会社の評価が高かったらしく、直接的に福祉機器を作る部署ではなく、研究部門に配属されたのです
しかも、研究している内容が、工学というよりは「生物」に近いようです
彼は自分の仕事に満足しているんだろうか?と疑問が残ります。

修士取得でキャリアアップをはかろうとした後輩

広島の方の高専の専攻科を卒業した後、愛知の変圧器メーカに3年間勤務後、修士課程に進学した後輩がいます。
前職では品質管理をしていたらしく、あまり給料も上がらなかったということもあり、修士課程に進学しました。
ちなみに企業によっては、3年以内であれば、職歴があっても大学院修了後、新卒として扱ってくれるところもあります
そのような会社を探して彼は某化学メーカーに就職しました。
化学系の職種は他のメーカーより基本給が高いので、彼の給与は月4万円ほど上がったそうです
彼は大学院を利用してキャリアアップしたケースに分類されるのかな?と思います。

留学生の友人

マレーシア人の友人がいました。とても語学が堪能で、英語、マレー語、中国語、日本語をほとんどネイティブ並みに話す人です
しかし、日本での留学生採用は少なく、彼は大学のコネクションを利用して、あまり大きな会社ではありませんが、海外でも活躍できる仕事を自力で見つけてきました
今でも大阪に住んでいますが、たまにアジアなどに出張しているそうです。

留学生の後輩

私が博士課程のときの後輩で、⑥の友人と同じくマレーシア人です。彼も4カ国語を話します。
彼はとても要領が良かったので、学校推薦を使って、某大手電機メーカーに就職しました
彼曰く、「日本でお金をためれば、国に帰ったあと、楽ができる。」だそうです。
まあ、決して、悪い人ではないのですが、留学生の中にはまだまだこんな人もいます。

インターンシップに行って「その気になった」後輩

博士課程のとき、ちょっとお調子者の後輩がいました
彼はトヨタ自動車にインターンシップに行って、社員から「うちに来ない?」といわれたのを真に受けて、自分はトヨタに入社できるものと信じ込み、見事に玉砕しました
傍目から見ていたら、社交辞令だろうと思うのですが、彼はそれがわからなかった。。。
その後、確かアイシン精機に入社しまいたが、「自分ほどの人間ならば研究開発の仕事に就ける」とか言っていましたが、傍目から見ていても彼はそれほど優秀な人間ではなかった気がするのだが。。。
まあ、大学院にもいろいろな人がいますよね?
私もあまり人のことは言えませんけど。。。


ざくっと、私の知人の中でも特徴的な人の例を挙げてみました。

書いてみて、あまり参考にならないような気がしてきましたが、こんな人もいるよ。程度で読んでください。

「「修士」について考えてみよう!」についてはこれでひとまず終わりにしたいと思います。

また、何か思い出すようならば「パート5」をあとから追加するかもしれません。

次は「「博士」について考えてみよう!」でお会いしましょう!

それでは。。。

「修士」について考えてみよう! パート3

最後に「修士号」を取得した方がどのような進路を辿ったのか、私の知人を例に紹介してみようかと思います
私は技術系出身なので、話の内容は技術系に限ります

私の場合
地方工業大学で4年間、他の人が遊んでいる間や休みの日もずっと勉強し続けて、大学3年生くらいのときには、「このレベルの大学に残る意味は無いな。」と感じ始める。
1年生のときからとてもお世話になっていた先生が3年生に上がる年に定年退職されたため、大学院まで指導を受けたいと思えるような教官が母校にはいなかったんですよね。。。
というわけで、他大学を受験しようと3年生のはじめの方から意識し始めました
私は福岡出身なので、近場でレベルの高い大学というと九州大学しかなかったのですが、私はシステム制御を学びたかったので、情報系の大学院に進学したいと思い、関西圏に情報系の制御に強い大学があったため、そちらを受験しまいた。
母校からは他大学の大学院への進学の実績はほとんど無かったので、先生から白い目で見られながら、入試の対策を練り、4年生のときになんとか合格。
一応、第1種奨学金と大学の寮に入寮することができたので、成績は真ん中くらいだったようです。

大学院に入学してからは、地方大学と全国区の大学のギャップにかなり戸惑いました
地方私学では、工学部の場合、エンジニアになるために直結するような教育がなされるのですが、国立大学となると第一義は「研究者育成」なので、学問に取り組む姿勢自体が根本から違いました。
特に私の所属していた研究室はアカデミックに偏った研究室だったので、なおさらその傾向は強かったです。

入学して半年もしないうちに打ちのめされたのですが、せっかく、努力して入学したのだからと何とかついて行って、修了することができました
博士課程への進学は漠然とは考えていたのですが、当時の打ちのめされた私には内定を頂いた企業に行くという選択肢しかなかったと当時は考えていました

私が始めに入社した企業は「三菱重工」です。
私は機械系の出身なので、なんとなく三菱重工への憧れのようなものは持っていました
本当は設計職で内定が欲しかったのですが、品質保証の仕事しか内定がもらえず、悩んだのですが、入社しました
技術者とは技術を探求するものだ。」と教育された方も多いと思いますが、私もそうでした。
でも、実際に企業で働くことになると、「必ずしも技術を探求できる」ような職場に巡り合えるとは限りません
私は機械とシステムを学んだので品質管理システムなどに関わりたいと希望を出していたのですが、全く関連のない、しかも、職場の人間関係がかなり悪い部署に配属されました。
基本的に品質関連のドキュメントを作成するのが仕事であったため、技術系を採用するニーズも職場としてはないようでした。
逆に事務系の人の方が仕事の効率が良いといわれているくらいの部署でした。
はっきり言って、がっかりしました。
がんばって大学院も出て、希望を持って、三菱重工に入社したのに事務的な仕事をしなければならないことにかなり不満を持ち、当時、全く英語が話せなかったのですが、輸出部門だったので、上司からは「英語が話せなくても、海外に行かせる。生きて帰ってこれればいい。」などと無茶を言われ、若輩者の私はとても戸惑いました。

かなり悩んだのですが、結果を言うと体調を崩し、3年ほど療養する必要があると意思から診断され、勉強不足も痛感したため、博士後期課程へと進学をしました

ここまでが、私が修士の時の話です。
参考になりましたか?
続きは「「博士」について考えてみよう!」で書きたいと思います。


少し、記事が長くなったので、ここで、一度、区切りますね。
「「修士」について考えてみよう! パート4」では私の知人について触れていこうと思います。

それでは。。。

2010年10月25日月曜日

「修士」について考えてみよう! パート2

一息ついたので、続きを書きます。

話は変わりますが、MBA以外の「修士号」は名刺には書けません
私も修士取得後、会社に勤めて、あんなにがんばって修士号を取ったのになぜ名刺に書けないのだろう?と疑問に感じたことがあります。

なぜならば、そもそも、現在の大学や大学院という学校の制度はヨーロッパやアメリカから輸入されたものなのです
欧米では修士(Master)という学位は博士(Doctor)を取得できなかった者に対して与えられる学位と位置付けられています
つまり、大学院というところは、「博士号を取得するのが第一の目的」であって、「修士を取得して、スキルアップしよう!」というものではないのです
古い考えの大学の先生などは今でもこういった考え方を持っている方が多いです。
これは、大学院の本来の意義は博士号を取るべきであるのかもしれませんが、経済的な変化や雇用情勢などにより博士まで進まれる方はやっぱり少ないですね
このことについては今後、執筆予定の「「博士」について考えてみよう!」でも取り上げてみたいと思っています
昔の人の意識では日本人でも修士を取って、博士を取らないのはなぜか?と聞かれたりすることもあるくらいです。

でもまあ、日本では「博士」より「修士」の方が歓迎されていますよね(笑)?
日本は「普通」であることが、良いとされている古い風潮が残っています
外国では良い意味で「普通とは違うものを持っている」ということが重視される場合もありますが、日本の雇用市場では、技術系では「修士」が「普通」のようです

さて、そろそろ「修士」という学位の意義について考えてみましょう!

ざっくばらんにいうと「ある程度、高度な学問を修め、ある程度、高度な研究活動を行ったことがある者」とでも定義すればいいのでしょうか?
私はそういう風に思っています。
先に取り上げた大学院の意義と照らし合わせるとやっぱり中途半端感は拭いきれません。。。

こういったことからも分かるように、修士で就職された方でも、学術的に優秀な方になればなるほど、やっぱり、学術研究や博士号への未練はあるようですね
私の知り合いにも結構います。
雇用情勢が「修士」中心なので、修士までしか取得されない方が多いですが、まあ、サラリーマンにとっては、現実的には博士号は必要ないと思います

これまで書いてきたのは国立大学のような昔からある伝統や考え方を守っている大学の話です

そうです! 皆さんもご存知のように現在の大学院は職業訓練や技術向上といった、単に学位を取得するにとどまらないような大学院も増えているのです

ここではあえて、専門職学位については書きませんが、また、機会があれば執筆してみたいと思います。

特に私立大学などになると学生の就職先、就職率が大学の評価の一つのパラメータになるので、企業受けするような実用的な技術を教えている大学院も増えています。

学術的に高度な研究を成し遂げて、名実ともに修士」となるか、「学術的でなくとも実用的な技術を持った修士」となるかは貴方の選択次第です。

これまでに技術系では「修士」は有効であると書いてきましたが、実は例外があります
中小企業や大企業でも高度な専門技術を必要としない部署では「修士」の肩書きははっきり言って邪魔です

私は「修士」修了後、某メーカの品質保証部に勤務したのですが、高卒の先輩や上司などに本当に嫌がられました

採用側の意図としては、大学院で専門技術を習得してきた「修士」が欲しいのですが現場レベルになると、学歴より、地道に努力して2年間多く仕事をしてきたタイプの方が好まれます

大学院に進学するかどうかは貴方次第。。。

またまた、話が長くなってしまったので、続きは「「修士」について考えてみよう! パート3」に書きます

それでは、また、会いましょう!

「修士」について考えてみよう! パート1

修士というのは大学院の修士課程か博士前期課程を修了すると授与される学位です。
修士号が取れるコースのことを「修士課程」と呼ぶか、「博士前期課程」と呼ぶかは、大学院の位置づけによるそうです。
一般的に名前のとおり、「博士前期課程」とされているコースでは、「博士号を取得することを前提」とした教育が行われていると考えればよいかと思います。
一方、「修士課程」とされているコースでは「修士号を取得することを目的」とする教育が行われていると考えてもよいかと思います。
どちらにも優劣はありませんが、国立大学などでは「博士前期課程」、「博士後期課程」とされている場合が多いですね

さて、「修士号」と聞くとよいイメージを持たれる方と悪いイメージを持たれる方といるかと思います。
一般に人文科学系の大学では、大学院の進学率が低いですよね。
人文科学系の方になると「学士」取得後、すぐに働いた方がキャリアアップにはよいと聞いています。
私の姉は経済学部出身ですが、経済学部の大学院に進学した人のことを「就職できなかったから、大学院に進学した人」と言っています。
または、公務員浪人的な目的で進学する人もいるようですね。
また、私の大学院の恩師の妹さんが心理学で博士号を取得しようと大学院に進学したのですが、一般的に人文科学系の大学院では修士号以上の学位を取得することが非常に困難らしく、大学院を中退したそうです。
聞いた話では大阪大学に在籍していたそうですが、大学院に長く在籍していたということもあり、就職先が見つからなかったと聞いています。

私の大学院時代の同期に俗に言う「学者一家」の人がいるのですが、その人のお姉さんが京都大学で法学の博士号を取得したそうですが、働き口がアカデミック、民間ともになく、無給のポスドクをしていたという話も聞いたことがあります。
どちらも、今は、どうされているかは知りませんが、人文科学系の大学院はかなりシビアなところのようです

一方、理工系の大学院はどうか?というと、「修士までならば、民間や公務員就職にかなり有利に働く」ということは皆さんご存知ですよね?
最近は理工系はかなり多くの人が修士号を取得されますし、技術系の職種でもある程度の規模の会社は修士号取得者を歓迎するようです。
私が今、勤めている会社でも、昨年までは学士卒が多かったのですが、今年の新入社員は技術系は全員、修士卒でした。

最近はどこの大学でも修士号が取得できるので、純粋に向学心から進学される方から就職に有利になるからという理由だけで進学される方や就職するのを先延ばしにするために進学される方からさまざまな人が理工系の大学院で学んでいます。

俗に言う「ゆとり教育」の影響で大学院に進学する学生の学力も相当低下しているそうですが、「修士までならば、教官の言うとおりに研究を進めてさえいれば修了」できます。

東京大学や京都大学などの旧帝大クラスの大学院になると必死になって研究に取り組まないと修士号を取得できない場合もあるそうですが、結構、所属する研究科の方針や研究室の方針などによってまちまちです
チャレンジして有名大学を受験してみようと思う方は一度、希望する研究室の教官とコンタクトを取って、じっくりと自分のやりたい研究テーマや学生生活について聞いてみたほうがいいかと思います
場合によっては、入ってからアルバイト禁止とか言われる研究室も結構あります。
その代わり、先生の授業のアシストをしたり、実験補助をすることにより、謝金がもらえる研究室もあり、そういう風に学生を経済的にサポートしている研究室も多いです

また、奨学金も借り易くなっているので、ある程度、経済的に自立した生活を送ることもできるかもしれません。

私は工学系の出身ですが、工学系ならば、学会発表を1件以上こなしていれば大抵の大学は卒業をさせてくれます

「学会発表」と言っても実はいろいろな形態があります。
数十人の発表者しか集まらない「研究会」または「研究発表会」などは「学会発表」には含まれません
学会の主催、共催、学会の部門が開催する発表会などのことを「学会発表」と言います
また、英語で論文を提出し、査読が入り、英語で口頭発表するような「国際学会」といわれるようなものもありますが、「英語での発表ならばどこでもいいというわけではありません」。
国際学会には、論文の採択率の高いものから低いものまであります
高いもので9割前後、低いもので2割前後が普通ではないでしょうか?
一般に採択率の低い学会で発表した方が評価は高くなりますし、投稿した論文を多くの人に読んでもらうチャンスが広がります
ただ、英語で発表がしてみたい!というだけならば、そういった学会もありますよ!
ただ、先生がそのレベルの学会発表を許可してくれるかどうかは分かりませんが。。。

自分の居所の近くで学会が開催されるとは限りませんよね?
場合によっては飛行機に乗らないと行けないような場所で開催されることもあります。
多くの研究室では、これを「出張」として扱い、出張者に旅費を支給します
ほとんどの場合は立替払いなので、一度、自分で支払う必要があります
そのあとは、大学の規定にしたがって、距離や宿のランク、移動経路などの計算を行って、旅費の支払いが行われます。


少し、長くなって来たので疲れてきました。

ここで一度、区切ります。
続きが気になる方は「パート2」をご覧ください。

2010年10月24日日曜日

「学士」について考えてみよう!

私は勉強はきちんとしていたのですが、大学生のとき、「学士」の学位についてあまり深く考えたことはありませんでした。

「学士」とは4年生大学もしくは高専の専攻科(5年+2年の課程)を卒業した者に対して与えられる学位です。
2ちゃんねるなんかで「使える資格はなにか?」というスレが立ったとき、一番にあがるのが、資格ではありませんが、「学士」の学位です。
まあ、日本も一応、学歴社会なので、大学は出ていた方が何かと有利に働くとことが多いということのようです。

私の父は高専(5年制)を卒業しているので、学歴としては「短大相当」の「準学士」になるのですが、30年以上も地道に働いて、1級建築士の資格も取得し、昨年から役員ではありませんが、幹部扱いの部長職をしています。

そんな私の父がよく言うことは、「大学名なんてどこでもいいから大学くらいは出ておいた方がいいよ」と言います。
私の父は最王手のゼネコンに勤めているのですが、父と同格の部長はみんな旧帝大クラスの大学を出ているそうです。
そんな中で、高専卒というのは少しコンプレックスがあるのかな?と思います。
それでも、そのハンデを覆し、幹部になった父はとても仕事熱心な人ですし、努力もし、才能にも恵まれた人間だと私は認識しています。
そんな人が大学に行った方がいいと言っているくらいですので、大学卒の肩書きにはそれなりの意味があるのではないでしょうか?

ただ、遊んで卒業したのでは無意味かもしれませんが、大学で学問に打ち込んだ4年間というのはとても意義のあるものだと私は思います。

卒業してすぐに大学で学んだことが役に立つことはないと思いますあ、数年先、数十年先にじわじわと現れてくるのが「学士」の価値ではないかと思います。

実社会の問題や求められる技術を理解することができる能力があると認められた者が「学士」と呼ばれるのではないのでしょうか?

なんにせよ、きちんと勉強をしておけば、就職や昇進などいろいろと人生の岐路に立ったときに、役に立つものだと思います。