最後に「修士号」を取得した方がどのような進路を辿ったのか、私の知人を例に紹介してみようかと思います。
私は技術系出身なので、話の内容は技術系に限ります。
①私の場合
地方工業大学で4年間、他の人が遊んでいる間や休みの日もずっと勉強し続けて、大学3年生くらいのときには、「このレベルの大学に残る意味は無いな。」と感じ始める。
1年生のときからとてもお世話になっていた先生が3年生に上がる年に定年退職されたため、大学院まで指導を受けたいと思えるような教官が母校にはいなかったんですよね。。。
というわけで、他大学を受験しようと3年生のはじめの方から意識し始めました。
私は福岡出身なので、近場でレベルの高い大学というと九州大学しかなかったのですが、私はシステム制御を学びたかったので、情報系の大学院に進学したいと思い、関西圏に情報系の制御に強い大学があったため、そちらを受験しまいた。
母校からは他大学の大学院への進学の実績はほとんど無かったので、先生から白い目で見られながら、入試の対策を練り、4年生のときになんとか合格。
一応、第1種奨学金と大学の寮に入寮することができたので、成績は真ん中くらいだったようです。
大学院に入学してからは、地方大学と全国区の大学のギャップにかなり戸惑いました。
地方私学では、工学部の場合、エンジニアになるために直結するような教育がなされるのですが、国立大学となると第一義は「研究者育成」なので、学問に取り組む姿勢自体が根本から違いました。
特に私の所属していた研究室はアカデミックに偏った研究室だったので、なおさらその傾向は強かったです。
入学して半年もしないうちに打ちのめされたのですが、せっかく、努力して入学したのだからと何とかついて行って、修了することができました。
博士課程への進学は漠然とは考えていたのですが、当時の打ちのめされた私には内定を頂いた企業に行くという選択肢しかなかったと当時は考えていました。
私が始めに入社した企業は「三菱重工」です。
私は機械系の出身なので、なんとなく三菱重工への憧れのようなものは持っていました。
本当は設計職で内定が欲しかったのですが、品質保証の仕事しか内定がもらえず、悩んだのですが、入社しました。
「技術者とは技術を探求するものだ。」と教育された方も多いと思いますが、私もそうでした。
でも、実際に企業で働くことになると、「必ずしも技術を探求できる」ような職場に巡り合えるとは限りません。
私は機械とシステムを学んだので品質管理システムなどに関わりたいと希望を出していたのですが、全く関連のない、しかも、職場の人間関係がかなり悪い部署に配属されました。
基本的に品質関連のドキュメントを作成するのが仕事であったため、技術系を採用するニーズも職場としてはないようでした。
逆に事務系の人の方が仕事の効率が良いといわれているくらいの部署でした。
はっきり言って、がっかりしました。
がんばって大学院も出て、希望を持って、三菱重工に入社したのに事務的な仕事をしなければならないことにかなり不満を持ち、当時、全く英語が話せなかったのですが、輸出部門だったので、上司からは「英語が話せなくても、海外に行かせる。生きて帰ってこれればいい。」などと無茶を言われ、若輩者の私はとても戸惑いました。
かなり悩んだのですが、結果を言うと体調を崩し、3年ほど療養する必要があると意思から診断され、勉強不足も痛感したため、博士後期課程へと進学をしました。
ここまでが、私が修士の時の話です。
参考になりましたか?
続きは「「博士」について考えてみよう!」で書きたいと思います。
少し、記事が長くなったので、ここで、一度、区切りますね。
「「修士」について考えてみよう! パート4」では私の知人について触れていこうと思います。
それでは。。。
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