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2010年12月18日土曜日

雑記 : 「博士号」を取得するメリット

「足の裏の米粒」といわれている「博士号」ですが、取得するとどんなメリットがあるのでしょうか。
私の2年間の経験を踏まえて、書いてみようかと思います。

①大学の教官になる資格。
②研究者、開発者として、外国に行ったときに相手が博士持ちでもバカにされない。

というのは有名なので、詳しくは書きません。

実体験とすると、

③学業を一通り修めたという証明になる。

というくらいでしょうか。

社会人になると勉強したくとも勉強できない状況などに陥りがちです。
博士号を取れるくらい勉強していれば、多少は応用が利くような気がします。

雑記 : 社会人を目指す大学院生に知ってもらいたいこと

大学院は成人してから進学する学校なので、すべては自己責任という話は以前しました。
私は博士後期課程を修了して、2年ほどになりますが、社会人としての自覚が出てきたのが、恥ずかしながら1年半くらいからだと思います。

私が社会人になって、上司に言われた言葉があります。

「学校は学費を払って教育してもらう場所なのだから、設備や教育方法、図書などが、充実しているのは当たり前。会社はお金をもらいにきている場所なのだから、全く逆。教育や環境が充実していなくとも、仕事を覚えてなんとかしろ。」

といわれました。

言われた当初は、十分な教育や設備が無いのに、どうやって、仕事を覚えろというのかと疑問に思いましたが、社会人としては基本だと今では思っています。

私の勤めている会社は少し独特だと思いますし、さすがに他の会社では教えてもいないし、知りもしないことをやれとは言われないと思いますが、この言葉は肝に銘じておいたほうがいいと思います。

つまり、学校は「教育というサービスを受ける場」。
社会人になるということは、「誰かにサービスする立場になること」です。

大学院だと先生に指導を受けながらがんばって研究していると自分はきちんとできているという錯覚に陥りますが、実は間違いです。

単に先生から「研究教育」という名のサービスを受けているだけであり、それ以上のものだと考えないほうがいいと思います。

大学の先生自体、ほとんどが、大学という世界しか知らない人なので、そのあたりの認識すらないと思いますが、企業に勤める人間からするとその程度の認識です。

私の先生は大学の先生になる前に起業していた方なのですが、さすがに元経営者ということもあり、人の扱いがうまく、在学中は気づきもせずに先生の手の平の上にいたようなものでした。

今考えると、先生は私に「博士号取得」のための必要な教育をしていただけで、「社会人になってから必要になるスキル」などは一切教えてはくれませんでした。

大学というところはある意味、治外法権です。

社会で役に立たないようなことでも、科学技術の発展という名の元に学生に指導します。

自分が何をしたいのか?というところを十分に考えて、先生から得られる利益は何なのかをじっくりと考えましょう。

先生は頭も良く、人の扱いもうまく、要領のいい人です。
中には学生の将来を真剣に考えてくれる先生もいることはいますが、「所詮は先生」です。

小学校や中学校や高校の先生となんらかわりはありません。

ただ、勉強を教えるだけですし、それ以上の能力も持っていません。

また、よく言われることですが、一つだけ、覚えておいたほうがいいことがあります。

「相手が自分にとって都合の良いことを言ってきたときは疑え。」です。

2010年12月16日木曜日

雑記 : 「博士課程」を退学しようかどうか悩んだとき

本年度に博士課程を修了予定の後輩がいるのですが、公聴会の予定表に彼の名前がありませんでした。
つまり、彼は博士取得に失敗したようです。
彼の研究室は今年いっぱいで解散(教授が定年)なので留年はできません。
その人はD2の5月くらいから様子がおかしくなって、それから研究をしなくなりました。
今はD3なので、おそらく、良くて指導認定退学、悪くて、普通の退学ということになるかと思います。

よくネットとかで、博士号を取れなくても修士として就職できるなどと言いますが、それは一般的にD1までの話で、D2以降になるとかなりマイナスになります。

かといって、D1で研究結果がでないから退学しようというのは早計です。

博士課程はD2の後半からが本番だと思った方がいいです。

オーバードクターは転職コンサルタント曰く、フリーター並の職歴となってしまうようですが、自分の将来を考えるならば、安易に退学を選ぶよりはがんばって3年で卒業する努力をしたほうが、将来には有利になります。

博士号をとってもアカデミックの就職は難しいですし、民間の就職となると、1から出直しのような感じとなるため、博士課程に行くことはアカデミックのパーマネントに就けなかった場合は結構、苦労します。
どちみち、苦労するならば、がんばって、博士号を取ることをお勧めします。

博士号というのはある意味、資格みたいなものなので、持っていると、あまり期待はしないほうがいいと思いますが、それなりに優遇されます。
(最低限の扱いはしてもらえるという程度です。)

どこでもある程度、アカハラはありますが、それくらいは社会に出れば、その程度のストレスに耐えられない程度では生きていけません。

2010年12月12日日曜日

雑記 : ポストドクター問題について

大学院重点化政策で博士が量産されだしてから、ポストドクター問題ってよく言われますよね。

結局のところ、政府の見解としては「自己責任」だそうです。
最近になって、大学やらがポストドクターを民間に就職させようと取り組みを始めていますが、私個人の見解としても、やはり、問題はポストドクター自体の考え足らずだと思います。

学振とかなら、まだましなのですが、はっきり言って、時間給のポストドクターなんて目も当てられません。
確かに学術研究というのはやりがいがあり、実際に楽しいのですが、だからと言って大学に残り続けるというのは問題だと思います。

博士の就職が悪いといっても実際は新卒で、修士や学士と同様に就職活動をすれば、内定の1つや2つくらいはいただけるものです。
仕事の内容にケチを付け出すときりがないですが、実際の仕事というものはそういうものです。

よくサラリーマンというと居酒屋で愚痴を言っているようなイメージがあるかと思いますけど、実際に働くということは、そういったサラリーマンになるということがほとんどです。
自分は博士だから人とは違うという認識は大きな間違いです。
博士もただの人です。
ただ大学に長くいただけで、それ以上ではありません。

確かに30歳前後まで大学に在籍して、それから社会人になるということは極めて困難です。
私自身、28歳で博士号を取り、その後、すぐに就職をしましたが、かなりの苦労と努力を今でもしています。

ただ、サラリーマンと言っても正社員なので、職を失う可能性は低いですし、給与もボーナスもきちんと支給されますし、同年代の平均所得程度の収入もあります。

ちょっと脱線しましたが、企業に就職した博士としては、何か目的や計画があってポストドクターになったのならば分かりますが、考えずになったのであれば、その人を国や大学や企業が救済する必要はないと思います。

普通にまじめにサラリーマンをしていても非正規やリストラなどによって仕事を失うことがある時代です。
ただ、博士と言うだけで、特別に救済する必要はありません。

博士であろうとなかろうと、社会からはみ出したわけですから、当然、苦労するのは当たり前です。

自分の仕事を見つけもしきらない博士など、本来の博士とは言えないのではないでしょうか?

博士というのは、論理的に事実を見極めて、アクションを起こせるという人材のはずです。
自分の人生についても同じことをすればいいだけです。

ポストドクターにもその程度の能力はあるはずです。

現在、博士課程に在籍している人や博士課程に進学しようと考えている人は、もうすでに大人なのですから、自分の人生については自分で責任をとりましょう。

2010年12月10日金曜日

雑記 : 専門性を身につけよう!

大学院修了後のキャリアパスを考えようなどとよく聞きますが、このことは在学中から考えておいたほうがいい問題です。

なぜなら、修士課程修了でも24~25歳、博士課程修了ならば30歳前後になるので、はっきり言って大学院卒は社会人として出遅れています。

ポスドクなんかだと相当悲惨だと聞きます。

会社では高卒でも中卒でも長く勤務している人間のほうが断然有利です。
最近は学歴にこだわった採用をする会社も減っているので、工業高校卒や高専卒のエンジニアなんかも結構、たくさんいます。

高専はともかくとして、高卒と聞くと能力が低そうと考える方もいるかもしれませんが、高卒でも頭の良い方はたくさんいます。
ただ、大学にいかなかったというだけで、人物を評価するのは間違いです。

意外と社会に出てみると、大学を出ていない同僚もよくいます。

しかし、最終学歴というのはある意味、資格じみています。
もし、役職者の候補が数人いて、高学歴の人とそうでない人といた場合、高学歴のほうが有利になります。

と言いますが、まず、役職者の候補になる程度まで実力を付けることができなければ、高学歴でも意味はありません。

というわけで、まずは専門性を身に着けましょうというのが今回の話です。

よくある話なのですが、たとえば大学で機械を専攻した人に何の予告もなく、電気の仕事をさせるような会社ってありますよ。

企業からしてみれば、大学は基礎教育の場であり、専門性を身に付けるのは企業に入ってからという認識があるようです。

新しい会社は大学で学んだ新しい技術を活かして仕事をさせようとするみたいですが、古い会社になるほど、こういった傾向は強いようです。

就職面接の際は企業担当者は結構、平気で嘘をつきます。

企業からしてみれば、きちんと給与を払うわけだから、契約上問題ないということなんですが、学生の思いとかはどう考えているのかと疑問になるときがあります。

そんわなけで、就職をする際は、企業を疑ってみるというのも大切なことです。

自分の描いていたキャリアパスと違うキャリアに引き込まれる可能性も大いにあるのです。

「博士」について考えてみよう! パート2

さて、そろそろ「博士」についてじっくりと考えてみましょう。

「博士」っというと、御茶ノ水博士とかそんなイメージしかないかもしれませんが、実在する博士の多くは、研究という能力を除いては、普通の人以下です。

博士を取るくらいですので、若いころから勉学に明け暮れて、30歳近くなって、やっと博士号が取れるくらいなので、そういう風になっても、不思議ではありません。

人生の半分近くを学業に費やした人、それが博士です。

博士号を取るとなるとどの程度のレベルが求められるかご存知ですか?

修了要件で言うと、学会誌に1本から3本論文が掲載され、国際学会で3回ほど発表する必要があります。

最近は投稿論文1本で修了させてくれる大学も多いですけど、やっぱり、3本は欲しいですね。
大学の教官になった人の業績をみていると、コネ就職を除くと、大体、皆さん、3本ほど書かれています。
大学の世界では助教になるのには3本論文が必要だと言われており、業績を稼ぐためにポスドクになる人もいますが、3本あれば可能性があるというだけで、採用されるかどうかはわかりません。

大学の人事って公平なようで、意外と公平ではありません。

もちろん、コネもありますし、人物評価もあります。
いくら業績が良くても人物的に教育者として向かない人は採用されません。

博士号を取得するのに投稿論文が必要と書きましたが、投稿論文にはどの程度の研究結果が必要かわかりますか?

マイナーな学会誌とかになると、そうでもありませんが、メジャーな学会誌になると、世界レベルで最新かつ実用的なレベルの研究結果が求められます。

修士課程だと、口頭発表1回くらいで卒業させてもらえますけど、博士を取得しようと思うと、その何倍かの研究結果が必要です。

修士時代に優秀だった人でも博士課程に入ると落ちぶれるというようなケースも良くあります。

修士はその大学の基準で授与されますが、博士は論文誌という公共の基準で判断されるため、実際にはそんなに簡単にはいきません。

博士に行こうと思っている人がいるならば、修士の何倍か努力しないと卒業できなということをきちんと認識するべきだと思います。

また、博士になると英語力が必要です。
海外に一人で行って、発表して、ホテルや交通の手配もして、英語でディスカッションして、帰ってくる程度の語学力が求められます。

民間に就職する場合でも、博士で英語ができないというのは結構、痛いです。

ざっと、いろいろと書いてみましたが参考になりましたか?

まだまだ、話は続きますが、いったん区切ります。

それでは、また!

2010年12月9日木曜日

雑記 : 大学院でキャリアアップを目指したいのならば有名大学を目指しましょう!

自大の院に行くことを薦める先生っていますけど、結局のところ学位というのは、「どこの大学で取得したか?」というのが重要です。

地方私立から地方私立の院に進学するなどは結構、自殺行為です。
私の知り合いにこういった人がいて、無職になった人や派遣社員をしている人がいます。

学歴というのはある意味、ブランドです。
有名なブランドを身に着けておくに越したことはありません。
たとえ、学部が地方私立でも有名大学の院に進学することは十分に可能です。

もっとも、より上のレベルの大学を目指すならば、それ相応の学力と努力が必要です。
たとえば私は偏差値45くらいの大学から、関西圏では有名な国立大学に進学しましたが、4年間、他の学生の何倍も努力しました。

日曜日以外は大学で勉強し、夏休み、春休みも勉強し、夜遅いときは9時ごろまで図書館で勉強をしていました。

だからこそ、倍率3倍の大学院に進学できたのだと思います。

楽して得することはできませんが、地道に努力すれば、キャリアアップの道は開けます。
ただし、何年間も継続して、他の人が遊んでいる中、勉強することは困難です。
かなり、禁欲的な生活となります。

しかし、若いうちの努力は買ってでもしろと言いますように、いつかは自分にプラスになるときがきます。

雑記 : 先生に大学院を薦められたら

やたらと大学院進学を勧めてくる先生ってどこの大学にもいますよね?
よかれと思い薦めている場合と学費や研究要員目当てで誘っている場合とあります。

特に近年、少子化が進み大学に在籍する学生の数も減っているため、教員も学生確保に走っているようです。
大学の先生が大学院に誘う場合は大まかに分けると2種類あります。

①本当に能力があって、大学院で伸ばしたいと思っている場合。
②学費、労働力、自分の研究・教育実績を作りたい場合。

ほとんどの場合が②です。
残念ながら、90%以上が②です。

また、修士課程で優秀な成績を修めた学生に博士課程の打診をし、修了後の進路も約束すると言い、進学させる場合もありますが、これも怪しいです。
全く進路の世話をしないことはないと思いますが、ポスドクとか中小企業を紹介される場合も多いのであまり当てにしないほうがいいと思います。

「大学の先生に進学を勧められる=優秀」ではないことに注意しましょう!

大学の先生と言っても所詮は大学の世界しか知らない人なので、民間の需要など分かっていない人が多いのです。
自分の下で何年間か修行すれば、一人前とか本当に思っている先生もいますが、実社会はそんなに甘くはありません。

先生に薦められようが薦められまいが、自分自身の人生です。
大学院に入学するということはすでに成人しているわけですから、すべては決断した本人の自己責任です。

自分の価値観や研究室の研究内容と照らし合わせて、自分の進路は自分で決めましょう。

2010年12月5日日曜日

雑記 : 社会人ドクターについて

少子化の影響下どうか、社会人を大学院に入学させる動きが活発化していますね。
社会人ドクターというやつです。
一般的に社会人ドクターとは「勤務しながら博士課程に在籍している人」という意味です。
会社を退職して博士課程に入学する人は含まれません。

大学の先生の話を聞いていると簡単に社会人ドクターを薦めるような方も多いですが、「博士」の学位は簡単には取れません。
もともと、博士並みの実力がある人は簡単に取得できるようですが、一から勉強して博士号を取らないといけない人などは週に2日くらい徹夜して、仕事が終わった後、深夜まで自宅で研究し、休日はすべて研究に費やすくらいの覚悟が必要です。
それでも、3年間で博士号を取れる人は少ないようです。

私は社会人ドクターではありませんが、実は博士課程修了後、半年ほど仕事が終わった後や休日で研究活動をしていた時期があります。
学位取得後だったので、仕事を優先してギブアップしたのですが、相当、きつかったです。
私は持病があり、徹夜などはできないため、ギブアップしないと体を壊しかねないと判断しました。

経験したことが無い人には「論文を書くなんて簡単」などとすぐに言う人がいますが、論文というものは「文献」なわけで、そんなに簡単には書くことができません。

最近はインターネット上で科学技術論文を残すため、論文そのものはともかく、論文を書いたという情報は半永久的にどこかに残るわけですし、投稿した学会がなくならない限り、何十年後でも文献複写依頼で取り寄せができる状態になっています。

査読が緩い、もしくは、査読がない学会などは簡単ですが、きちんとした査読が入らない論文というものは同人誌以下であり、はっきり言って誰も読みません。

査読の入らない研究会や講演会というものは実際には研究者同士のコミュニケーションが目的であり、こういったものは業績や修了要件には加算されません。

論文誌ともなると、よほど能力とネタに恵まれた人以外は3年間で1報~3報書ければいいほうです。

普通の博士課程の学生が週6~7日かけて3年間で修了するところを週2日とかで修了できると思うのは間違いです。
学業というものは修めるためには相当な犠牲が必要です。

雑記 : 企業から見た「学位取得者」

私は企業に勤めて3年になりますが、企業から見た学位取得者について個人的な意見を書いていこうと思います。

まず、「大学院なんていって何しているんだろう?」という意見は多いです。
最近は修士課程修了者などが増えているため、そうでもないですが、大企業以外、学位取得者をあまり採用した経験がない会社や部署が多いです。
特に博士ともなると、企業としてもどう処遇するのか規定がないところも多いです。

一方、実務能力はともかくとして、博士号を持っているという一定の評価はあります。
博士と言っても会社に入れば新入社員も同然ですから、それなりに教育する必要があるのですが、多くの企業では「半ば教育済み」の社員、つまり、中途採用社員程度の教育で十分であろうとの考えが多いです。

実際に私は博士課程修了後、中途採用で採用されましたし、まっさらの修士に比べればスキルは高いほうになると思います。

ですが、博士という肩書きがついている以上、それなりの働きをしなければならないとみなされるため、短期での立ち上げが求められます。

一般に新卒の場合は2年から3年かけて一通りの業務を見につけさせるという考えの企業が多いのですが、博士の場合は1年前後で立ち上がる程度の人材しか採用はしないような気がします。

私は某財閥系の企業なのですが、日立や本田技研など博士の採用実績の多い企業では、「博士でも一から教育する」といわれていたりします。

昔から「教育の日立」とか「ホンダは博士を中途採用する」とか聞きますが、さすがにこのレベルになると博士の扱いはうまいようです。

博士の採用実績が少ない企業では、なかなか使われる側としても使う側としても、難しいようです。